人生の夏休み~秋~

先日、仕事を退職した。

 

その一連の手続きややり取りの中で痛感したのは、自分はかなり自尊心が強いらしいこと。

自分が好意なり尊敬なりを抱いていない相手の言うことは、一切聞きたくないのだ。

犬は誰にでも従順なのではない 

退職した今でも上司には心底感謝しているし、今後もお歳暮や年賀状でもお送りしようかと予定している。お礼がしたいのではなく、彼ほど気のいい上司を見たことがなく、得難い存在であるからだ。あの会社を離れただけで、彼ほどの逸材と縁が切れてしまうのは勿体無い。

 

好意(恋愛感情のそれとは異なる)か、尊敬の念を抱けば、場所を離れようとも相手とは離れたくない。

だが、それらが欠如していれば、例え「そこのハサミ取って」といった瑣末な用事でも、不服で不満なのだ。

 

自分の場合、上司のさらに上(課長部長クラス)の人間には、揃いも揃って好意も尊敬も抱けなかった。

女性がよく言う「生理的に無理」という感覚が、少し分かった気がした。

自分も、課長が瞬きしてるだけで腹が立つ(こういうことではないだろうか)

 

昔、犬を飼っていた。とても賢い子だった。
無駄吠えはしないよう躾けていたが、「主人」として認めていない人間にはお手すらしない。

過敏に攻撃・拒絶することはないが、従いもしない。

 

犬は飼い主に似るのだと今更ながら苦笑する。

 

従順ではないが同調はしやすいのもADHDの特徴か?

 

先日、とても丁寧なコメントをちょうだいした。

すぐに拝読したが、退職等の手続きでばたついていて更新が出来なかった。

 

まずは、お礼を。本当にありがとう。勉強になる部分も多く、また単純に嬉しかった。

 

次に思ったのは、「ADHDの人間は、空気が読めない」と言われているのに、妙に共感力が高いということ。

コメントをくれた方は女性のようなので、余計に共感力が高いのかもしれない。

 

共感力が高いとは、一般的には長所だろう。
しかしADHDを持つ人間には、息苦しさを増長させる一因になりかねない。

 

例えば、会議室。
皆苛立ちを抱えながら、でも理性的に会話している空間があるとする。
自分は、確かに空気は読めない。
だからどんな発言が、聞き取りが、解釈が正解かは、大抵の場合において掴めない。

 

しかし、共感力だけは高いので、皆がとてつもなく苛立っていることは感じ取れ、そこに共感してしまう。
結果として、一人だけイライラしている人間になってしまう。皆は理性的に会話を続けているのに、一人だけ感情的になっている。

 

だから空気が読めないと言われてしまうのかもしれない。

 

ファミレスでもそうだ。
料理の提供が滞っていると、空間の空気も滞る。
その滞りに共感してしまう。
昼時なら隣の席に「休憩時間の残りを気にして、苛立つ人」がいる確率が高い。
自分は無職で急いでなどいないのに、共感して「本当はコンビニでコーヒー買って戻りたかったのに、もう歯を磨く時間しか残らない」と苛立っていたあの頃を思い出し、自分まで焦ってしまう。

結果、彼女とゆっくり昼食を食べられる機会に、不必要に早食いになり、相手に「食べるの遅くてごめんね」と気遣わせてしまう。

 

だが、「空気が読めない」と言われた人間は、鈍感であることを恐れてしまう。
元から思考過多に陥りがちなのにも関わらず、余計にアンテナを伸ばしてしまう。

スイッチがあればいいのに、と切に願う。
敏感と鈍感をオン・オフで切り替えられるスイッチが。

訓練で備え付けられるのであろうか?
良いトレーニング方法があったら、ぜひまた教えてほしい。